• Top page
  • News
  • エンブレム問題から派生する、オリジナリティに関する考察

エンブレム問題から派生する、オリジナリティに関する考察

2015.09.01

オリンピック

びっくりするくらい叩かれている、東京オリンピックのエンブレム問題ですが、僕もデザイナーの端くれとして、日々ネット上で巻き起こる議論には注目しておりました。

佐野さんがパクったか否か?という事に対しては、言及するつもりはないですし、正直ここまで来るとちょっとよくわからなくなっています。
ただ、世間がここまで“デザイン”に注目している。という事ってそんなに無いですし、個人的には歓迎すべき状況なのかもな。と感じています。佐野氏には気の毒ではありますが。

僕が一連の流れを見ていて最も興味深かった事は、世間の「デザイナーへの認識の仕方」でした。
印象としては、デザイナーがアーティストだと思われている。という事をすごく感じました。まぁびっくりはしませんが。
何故なら、デザイナー間でも度々「アートとデザインの違い」については話し合われ、デザイナーによって意見の別れたりする所だったりもします。

確かにアートとデザインには、重なる部分も多いので、きっちりと一本の線で分けるという事は不可能です。
ただし、アートとデザインは異なる。という事は間違いありません。
じゃあ、どこが違うの?と、聞かれると、その違いを全て説明するのが結構難しかったりするんですが。

今回の件で一番言われているような気がする事が「オリジナリティー云々かんぬん」でした。
オリジナリティーへの考え方は、アートとデザインの違いが別れる所じゃ無いかと思います。いい機会ですので、そこを切り取って少し説明させて頂きます。

デザインにとって、オリジナリティーが第一義ではない

あ、一旦ここでは佐野さんの件とは切り離してください。当然「パクっても良い」と言う訳ではありませんので。

オリジナリティーが第一義ではない。と言った訳を説明します。
これも少々誤解を産む言葉だと思いますので補足しますと、オリジナリティーが第一義となる事もあります。
あーややこしい。

まず、デザインの第一義は何か?
それは「目的」です。
これがオリジナリティーが第一義になり得る。の訳で、目的がオリジナリティーを出す事にあれば、それは第一義になり得る。という事です。

では、目的が第一義とはどういうことか?と言いますと、それは当然、案件によりけりなんですが、今回は「名刺のデザイン。」という案件を想定して簡単に説明いたします。

名刺を構成する要素は、団体名(ロゴ)や名前、役職、電話番号等の、文字情報が中心です。あとは名刺そのものの用紙でしょうか。
名刺を制作する上で、大抵(例外はあります)の目的として重要な事は「どこの(どんな)団体のどんな立場の人間なのかを明示する」という事となります。
つまり、それが“目的”になります。

その場合、出来る限り判別しやすい文字で、読む人に伝わりやすいデザインを心がける事が普通です。
まずはフォントを熟知している必要があります。
その団体(または個人)に合ったフォントを選択し、その配置の仕方に気を配る。そして余白を使い、その団体(または個人)に最適な用紙を選び、名刺を受け取った方にきちんとその団体(または個人)の良い部分を伝える。という作業をする事になります。
それは100%目的を達成する為に行使される行為であり、自分のデザイナーとしてのエゴや主張は不要なものとなります。

ここでデザイナーのエゴで、下手に自己主張を初めてしまうとどうでしょう。
その会社とは関係ない方向で「面白いから」という思いつきで仕掛けを入れてみたり(それを閃きと言ってしまってはいけません)、イラストを入れてみたり。オリジナルのフォントを作ってみたり。やればやる程、目的であった筈のものが薄れ、オリジナリティーが確立して行けば行く程、目的とは離れる傾向に向かってしまいます。

逆に、オリジナリティーやインパクトを重視して、印象に残す。というやり方もあり、実際にそれで成功している事例もったりしますので、100%悪だとは言い切れないのが難しい部分なのですが、大事な事は「目的を達成できたか」という事です。たまたま上手く行った。という事ではありません。

デザイナーの目指すべき場所

簡単に説明させて頂きましたが、デザイナーのエゴで進めてしまう事は、割と頻繁にある事だったりします。
デザイナー自身にアーティスト思考が強く、自己主張を行う傾向は散見しますし、それが誤解を産む結果に繋がっているのかもしれません。
また、そういったアーティスト性を求めるクライアントも中にはいますし、アーティスト性が求められる案件。というのもあります。

ただし、基本的にデザイナーが目指すべきは“無名性”であるべき。という事は重要なポイントです。
オリジナリティーが存在するとしたら、それは「クライアントのオリジナリティー」であり、「デザイナーのオリジナリティー」ではありません。
「目的のオリジナリティー」であり、「オリジナリティーが目的」ではありません。
つまり、目的に先んじるオリジナリティーは、存在し得ません。と断言して良いと思います。

そこを履き違えてしまうと見えて来なくなってしまいますが、基本的にプロのデザイナーが行う事は、そうした仕事なのです。

「どれを見ても、EMDesignsさんらしいデザインだね」と、もし言われてしまったら、自分の仕事を疑うべきだと考えています。
「正しく目的に応じたデザインができているだろうか?」と。

もちろん、それぞれの考え方でデザイナーが行動する事に対しては、口を挟む気はありません。
むしろ、多様性は歓迎すべきだと考えています。先鋭的なデザイナーもそれなりに出来る仕事はありますし、そういう人がいる事で、新たな表現方法が確立されたりもします。
それでも、目的を失っていないか?という事は、全てのデザイナーが共通して考えるべき事だと思っています。

今回は、オリンピックのエンブレムの件から派生して、“オリジナリティー”という部分を軸に考えてみましたが、ご理解いただけましたでしょうか。
デザインというものは、一般的に“キーワード”を拠り所にする部分が強く、汎用性や共通性とは切っても切り離せないものです。
例えば、電話番号を090-1234-5678と書く所を09-01-234-56-78という形式にしてみると、途端に電話番号だとはわからなくなってしまいます。

つまり、文化や伝統、常識に則っている事が必要で、決して無視できないのです。
それを忘れて極端なオリジナリティーに走ると、よく分からない何かが産まれたりしてしまいます。

最後に

さらっと書くつもりでしたが、長くなってしまいました。。
今回の件が起こった事で「デザイン業界がやりにくくなる」みたいな声が聞こえたりしますが、そんな事はないと思っています。
むしろ、デザインとは何か?を説明するには良い機会でもありますし、デザイナーそれぞれがじっくり考える良い機会になった。と捉えるべきなんじゃないかと思っています。

あ、最後に、佐野さんを擁護するつもりはないのですが、これだけは言いたい。
今回の件を政治批判の道具にするのではなく、ちゃんと本質を話して欲しいと思っています。
あと、佐野さんの容姿なんかについて言うのはやめましょうよ。本質とは全く関係ない中傷ですし、それはとても恥ずかしい事だと思います。

Other news

関連するNewsの一覧です。
合わせてお読みください。